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合格&卒業おめでとう 〜3つのキーワードを添えて〜

遅れ馳せながら、平成27年度に新高1生になる塾生のための合格祝賀会&高校ガイダンスを行いました。 スケジュール調整が難航し押しに押しての決行でしたが、ほぼ全員が集まってくれたことにまずは感謝申し上げます。これで本当の意味で谷戸校から卒業生を無事に送り出すことができ、我々の大切な区切りを迎えることができました。今日までブログを控えていた理由は、ネットや書面経由ではなく、まずはface to faceでお祝いと労いの言葉を伝えたかったからです。今日からまた少しずつブログの更新を再開します。 今回の原稿は、新高1になった塾生の皆さんに向けて書きました。長文になりますが、最後のレクチャーだと思って暫しお付き合い願います。

勉強は1人でやるものだと私は常日頃から口にしています。これは友人との遊びの延長線程度でしか勉強というものに向き合わない子ども達へのストロークです。馴れ合いたいだけなのであれば、何も授業料を払ってまで塾でやらなくたってよいのですから。こんなことをわざわざ口にせざるを得ないことは、レベルの低いことだと考えています。皆さんにも遠い昔に投げかけたかもしれません。 一方で、勉強は1人でやるものという言葉を理解するには一定量の経験が必要だとも考えています。定期テストの点数が上がらない、内申が下がったなどの失敗から学び、少しずつ腹に落ちていくという具合です。中高生の皆さんはまだまだ経験が少ないです。殆どの皆さんは受験自体が初めてであり、想像できないのも致し方ないのかもしれません。このような状況下で大切なのは気づきです。多くのものごとに好奇心を持てる人ほど、気づきは早くやってくるものです。好奇心は旺盛に。これがまず一つ目のキーワードです。 さて、ここでもう一段階、勉強するという行為を掘り下げてみます。 そもそも、人は学歴のために勉強しているのでしょうか。外資系、東証一部上場企業という世間一般では所謂大手と言われる組織を渡り歩いた中で、私の場合、学歴というものは酒のツマミ程度のものでした。無論、上司や部下の学歴を気にしたこともありません。学閥の類はアカデミック関連に出向した際以外は、金融系と商社出身のご年配方がごく稀に口走る程度で、天然記念物ものの新鮮味がありました。いやはや学歴だけで飯が食えたなら、世の中はさぞ楽で味気ないゲームだったでしょう。 誤解を恐れず述べるならば、学歴は資格程度のものと私は捉えています。人生を切り拓くための一つの武器と喩えればイメージが湧くでしょうか。英検を取得して人生が劇的に変わると想像できますか。就職面接で、努力したことが何かを問われ、受験勉強と答えて、人事はあなたをどう評価するでしょうか。採用人事経験がある立場から申し上げると、大学生活で何の努力もしなかったのかとマイナス評価を下すことはあれど、プラス評価を与えることなど考えられません。学歴や資格は履歴書を見れば誰しもわかります。では組織が履歴書だけで採用せず、莫大なコストをかけてまでなぜ面接を行うのでしょうか。それは人間性を見るためです。履歴書や写真だけではわからない本質を。とかく大学入学後や社会に出てからも勉強は続くのですから、人生は最終学歴で一抜けできるゲームではないのです。教育業界に戻ってからというもの、過去の長物と思っていた偏差値至上主義と、それを脅しのように過剰に振りかざす無知な講師や教育関係者が、かくも根強く残っているのかと驚かされました。そんな他愛もない脅しに怯えながら勉強することのないよう、屈することのないよう、君たちには伝えてきたつもりです。このような一過性のみの動機付けでしか勉強の大切さを伝えられない大人たちに出会ったなら、その当人が学歴コンプレックスを持っているか、社会人経験が乏しいか、学歴以外の武器を作れなかったのでしょう。いずれにせよ、底が浅い人物であると見切っていただいて結構です。君たちが望むならば、学歴だけでなく人間的に魅力ある、本当の意味で頭の切れる先輩たちに出会う機会が訪れる。そういう仲間達と出会い、志高く同言語レベルで語り合うために、初めて勉強が不可欠だと言えるでしょう。そしてその時節に、勉強は1人でやるもの「だけではない」という、私が伝えてきたことの矛盾にも気付くことでしょう。 君たちが聞いたことがあるかもしれない学歴=年収は、あくまでも一つの見方であり、多様化する今の時代に即しているとはいえません。つまり、危険なレトリックです。そもそも人は高収入のためだけに学歴を求めるのかという疑問にぶつかります。将来やりたいことから逆算して進学先を決めることこそが本来の姿でしょう。学校も会社もそのステップアップのために利用するという気概が欲しいところです。そして何より、入社後のパフォーマンスこそ、最も大切であろうことが見えてこないのです。前述の通り、勉強は社会に出てからも続きます。同期であっても数年後に数百万の年収差が開くのは、何も学歴差だけが要因ではありません。万が一にもそんな人事査定をしている企業があったなら、組織として先が知れています。総合職と一般職、公務員1種と2種など入社前にキャリアが分別されるケースを除いて、パフォーマンスが評価されない企業など、即刻辞めて次を探した方がいいです。是非はさておき、終身雇用や年功序列という言葉が死語になりつつある昨今、企業はより良い人材を海外に求め始めています。国語や社会の授業で目にした「グローバル化」という言葉は受験に必要な知識というだけではなく、君たちが直面する(している)課題なのです。30年後には「シンギュラリティ」も訪れる大きな潮流の中で舵取りしていくためには、学歴を武器にしただけでは心許ないです。野球で喩えれば、バットやグローブが如何に良くても、それらを使いこなす技術を磨かなければ結果は出ませんよね。格闘ゲームで喩えれば、強い武器を持つに越したことは無いものの、技術で相手を凌いだ先に勝機が見えてくるわけです。良くも悪くも、学歴=年収といった簡単な方程式では語り尽くせない、多様化した時代に君たちは立っているのです。 蛇足ですが、数値や資料を印象操作することは比較的容易いものだったりします。数値のマジックはあらゆるプレゼンで今後目にすることになるでしょうから、常に疑ってみることを忘れないで欲しいです。こんな結論付けをしている研究結果がありますのでご参考に。アカデミックなデータのため、営利企業が集計するような恣意的な要素は少ないと考えられます。なぜかくも結論が異なるのでしょうか。これが数値のマジックの一例です。答えは敢えてお伝えしません。勉強を通し、自分なりの解釈を模索してください。第二のキーワードは、学歴は君たちを形作る一要素でしかないということです。 では、生きていくためには何が必要でしょうか。お金、時間、食べ物など、枚挙に暇がありません。なぜなら、人それぞれに幸せの価値観が異なるからに他なりません。社会人になってから、私はお金で苦労した記憶がありません。学生時代は授業料をできる限り自分で工面していたため、それはそれはひもじいものでした。お金が無いにも関わらず、お酒やタバコを覚えたことも痛かったです。交通費を節約するため数時間かけて自転車で通学することはしょっちゅうでした。学食で楽しそうにランチを食べている周りの姿を尻目に、昼は水道水で済ませて図書館かパソコン室にいました。新卒入社した企業ではパフォーマンスを出せたことも相まって、給料は信じられない額でした。このまま使用したら横領になるのではと焦って、桁が間違っていますと人事に問い合わせをしたほどに。これがハイリスクハイリターンの外資系の強みです。一方で、収入と反比例するように、自由な時間を持つことがあまりできなくなりました。出張、転勤、午前様はざら。拒否して昇進コースを外れる選択肢もありましたが、君たちがよくご存知の私の性格です。「出来ない」という言葉を頑なに使わないようにしていたと記憶しています。それと同時にお酒を飲むような付き合いが多くなり、家のことは妻に任せきりで、妻には淋しい思いをさせてしまっていたと思います。今の年収は以前に比べると半分以下です。それでも以前に比べると家族との時間を持てるようになり、妻は喜んでくれています。やり甲斐を感じ、家族や知人に君たちのことをいつも自慢しています。不思議と、今もお金に不自由を感じることはありません。これは今の私に物欲があまり無いことが幸いしているのかもしれませんし、お金よりも大切なものに気づけたからかもしれません。ひもじい時代にあれだけ憧れ、得ることができた結果としてはいささか皮肉なものです。 将来、君たちが岐路に立った時。君たちが何を幸せとするかの価値観が大きな判断材料となるはずです。その時のために、何をもって幸せとするかという自己を確立しておきたいところです。見つからないなら、見つかるまで、勉強、読書、部活、バイトなどを通し、多くの経験、知識を増やしてみましょう。そして、自分の頭で考え、答えを見つけ出す癖をつけておくことです。それが君たちの人間性を深め、生きる力を培うことにきっと繋がっていきますから。お金を出来る限り稼ぐことが幸せなことと考えたなら、その道を全力で追求してみればいい。趣味や篤志のために生きるのも素敵ですね。学歴のためだけではなく、その先にある自分なりの幸せを見つけ、その実現のために勉強すること。これが最も伝えたい最後のキーワードです。 好奇心は旺盛に。 学歴は人間性の一要素。 自分なりの幸せを実現するために勉強を続けること。 人生日々是勉強也。 失敗や回り道をしても大いに結構。 3つのキーワードを通し深みのある人間に成長しながら、人生を謳歌してください。 3年後、笑顔でお互いの近況とビジョンを報告し合える日がくることを楽しみにしています。 西東京市谷戸校(ひばりヶ丘・田無)より

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